さて、乃し梅です。
佐藤屋が創業した文政年間には、まだ菓子ではなく、山形が
最も栄えた時代の城主最上家の医師を先祖に持つ薬屋さんが
伝えていた気付け薬でございました。
その薬屋の息子が嫁をもらって始めた菓子屋が佐藤屋。
後の世に、幾多の失敗にめげることなく、全国に流通するように
なった寒天との出会いの末に、今の「のし梅」の形に完成させ、
今にまで伝わっているとされております。
最上家が治めていた頃の山形では、紅花の生産が
盛んであり、後に山形を訪れる芭蕉も紅花に関する句を
山形で詠むなど、山形=紅花と言っても過言ではなかったようです。
その紅花から色素を採るのに必要だったのが、梅の実の酸。
これを使って、色素を採る訳ですので、当時の記録では現在の山形市、と
される部分のかなり街に近いところまで梅の畑があった様です。
まあそれくらいに梅も生産が盛んであった、と言う訳です。
同時期には、先に書きました最上家伝来の薬も、民間薬として
なじみ深いものだった様ですが、これも梅が豊富にあってこその
ものですから、生産量がいかにあったかをもの語ります。
一説には、出羽三山詣での流行した江戸後期には、「乃し梅」の
記述が山形についての文献でも見られることもあったりする
様なのですが、寒天の全国流通までに間があるので、
今の形ではなかったのではないか、と思われます。
佐藤屋に残るレシピを記した文献には、陶板に塗りつけた、と言うような
記述もありますから、やはりこの形に完全に落ち着くのは、
明治になって、と考えてよさそうだと思っています。
とは言えそれでも1800年代後半なんですが(笑)
今日はとんでもなく真面目に書いてます、本気ですw
で、何が言いたいか?と言うと。。。
「乃し梅は、山形発祥の元祖山形銘菓です。水戸に非ず」
まあ何をいまさらなのですが、私八代目の関東での
催事の歴史は、まずはこの認識との戦いから始まって
いるものですから。
何せ水戸、梅の名所「偕楽園」をお持ちで
首都圏からの観光客の方々を集客して
おられますものですから、その情報発信力は
もう素晴らしいものがあります。
水戸銘菓と言えば「水戸の梅」「吉原殿中」などが
ございますが、そこに並び「のし梅」もたくさんに~(泣)
前の二つの銘菓については置いておきまして、
「のし梅」に関してはこれだけは言わせてください!今までは現実世界でお会いした人だけに地道にお伝えを
して参りましたが、ここでも言ってまいります。
「乃し梅は、山形発祥の元祖山形銘菓です。水戸に非ず!」
おそらくしっかり調べていただけばわかるのですが、
水戸の「のし梅」が歴史に登場するのは明治の
中期以降を待たねば無理かと思います。何故?と聞かれればそれは「山形」にて完成された
「乃し梅」の製法が、伝わっていくまでの時間が必要、
だからです。修業に来た方、教えにいった山形人。
当時は、おそらく将来的に商圏がかぶるなんて思いも
しなかったのではないかと思います。
まあそれはもう、しょうがないですね。
その後山形においては、紅花の生産が減少し、
サクランボが新たな名物になり、実の収穫の
時期も近い梅も、家庭用以外の需要が減少して
少しずつ減っていきます。
佐藤屋では今も梅を山形産にこだわって使っていますが、
それも契約栽培や、これまでもお世話になっている農家の
皆様の助けがあってのことでございます。
さて水戸はと申しますと、首都圏に近い?地理的な
利点などを活かし「偕楽園」が観光地として素晴らしい
形に完成し、そこにあるお菓子屋さん達の素晴らしい努力に
よって、数々の銘菓をつくりあげ、今や関東において
梅の菓子と言えば「水戸」、「のし梅」は「水戸の銘菓」と
認識されるまでになっております。
事実私の周りでも、関東出身の方の多くは、
佐藤屋にのし梅のあるのを見て「水戸にもあるよ~」と
おっしゃいますし、関東の百貨店さんでの催事などで
お持ちしても「水戸の銘菓よね?」と・・・
恐るべし水戸、素晴らしい、いわば「のし梅」の発展と
隆盛を支える存在です。
でも、これだけはもう一回!
「乃し梅は、山形発祥の元祖山形銘菓です。水戸に非ず」
もうこれで最後にします。申し訳ないです。
こう言った形の文章に嫌悪感を示される方、必ず
いらっしゃいますので、先に謝らせていただきますが、
そんな方はここまで長いと読んでおられませんでしょう。
そんな「元祖」の「のし梅」が「山形」、「発展」させたのが「水戸」。
特段これまでも元祖争いをしたことはございません(笑)
これからもドロドロやるつもりはございません(笑)
仲良く並んだ水戸と山形の「のし梅」@M山形vs水戸にて
ただ、きっと佐藤屋の八代目として私は、ご先祖の名にかけて
「乃し梅の発祥は山形」と語り続けるでしょうし、それを
止める時は自分の店をたたむときでしかありえないと思います。
そしてきっと、まだ先まで「水戸の銘菓よね」と言われる覚悟は
しております?!でも、でもですよ。小さいかもしれないけど、
それ目標?と思われるかもしれないけども。
いつか「のし梅世論の支持の多数」をもう一度山形に取り返したいんです。
水戸に行った人たちが「あ、これ山形の?!」と言ってくれる様な感じで。
人口も、生産力も、色んな意味で不利ではあります。
それでも、山形の歴史に誇りを持ち、山形の梅にこだわり、
職人仲間の頑張りを信じて、常に語り続けていく、その先に。
きっと元祖山形銘菓である「乃し梅」が「元祖」として
認識してもらえる時が来ると思って頑張っているのです。
変わらぬ皆様の応援とご指導をお願いいたします~
いやはや長文でした。
読まれた方もお疲れでしょうね?
自分も疲れました。
もしもこれを読んで不快な思いをされる水戸の
お菓子の関係者さんなどいらっしゃいましたら、すぐに
ご連絡くださいませ。訂正か削除をいたします。争いは望みませんし、今時点では勝ち目もありませんので。