タグ: のし梅

  • 佐藤屋の「乃し梅」が和風総本家「100年てみやげ」で紹介をいただきました!

    乃し梅本舗 佐藤屋(山形)の元祖「のし梅」【和風総本家に山形 佐藤屋「乃し梅」登場~】

    2016年11月3日放送の「和風総本家」にて「100年てみやげ」の特集で、
    佐藤屋の「乃し梅」をご紹介いただきました~!

    ご案内を忘れておりまして、twitter中心に「見れなかった~」のお声も沢山に頂きました事にお詫び申し上げます。
    それにしても、ご覧になってる方が多かったようで、佐藤屋のサイトへもかなりの数のアクセスがございました。

    今年春の「満点青空レストラン」の時ほどの大混乱ではございませんが、メールのお返事などに少々お時間をいただきますことをご了承くださいませ。

    昭和初期の佐藤屋「のし梅」の製造風景(山形)江戸期の薬に由来し、その後の試行錯誤、寒天との出会い、缶詰技術の確立などで、季節ものから「山形の定番」となっていった「のし梅」。

    今でも、昔のレシピに虫食いがあってもなお、職人が見ればその欠けた部分に何と書いてあるかわかるくらいに、変わらぬ製法でお届けをいたしております。

    番組内では、まるっと1日かけての撮影をいただきましたが、時間の関係もあり、当然ながら放送をされない部分もたくさんにございましたが、映らない部分も手作業のオンパレード。

    山形佐藤屋の「のし梅」製造。水平をとりながら型枠に流し込む。

    寒天や完熟梅との混ぜ合わせなどは、テレビでもごらんをいただきましたが、一枚ずつ型枠に流し込み、厚さの差が出ぬように、すべて水平をはかっていきまして、切るのは包丁。
    竹皮に貼り付けていくのも手作業です。

    実際、最近増えた取材の際に「撮っていけない工程はありますか?」と尋ねられることの多いものの「手間かかって誰も真似したいと思わないだろうから大丈夫」とお答えをしておりますくらいで(笑)

    それにしても全国では「100年てみやげ」って相当数あるものなんですね~
    山形「のし梅」用の完熟梅の仕込み風景(佐藤屋)

    今回は「確実にそのときからあると証明できる文書等」から○○年前からある、のランキングになってまして、佐藤屋ですと山形の大火より前の資料って年号や出自がまだ確定してなかったり。
    (写真の頃だって昭和の風景。これよりもっと古くって写真、となるとなかなか・・・)
    間違いないところで「明治」の文書をもとに「122年前」となりましたが、もっと古いところがドンドンあって、資料保存も含めて驚くばかり。

    八代目の末弟と母を中心に、資料の読み直しや新たな資料の検証をしてますので、もっと古いものが出てくる可能性もありますが、そのあたりはこれからのお楽しみ、という事で。
    やっぱり、新資料など出てきたら、それまで言われてた事と違う事だってあるだろうし、そこを含めて「老舗」であることを楽しめたらと思っていますので。

    なんだかんだ言っても「乃し梅」が「山形の伝統の菓子」であり、「今なお名物」としてご紹介をいただける機会が増えてきたことは、すごく嬉しいです!

    帰って来た8年前頃は、山形のガイドブックでもお豆やお煎餅やゼリーが中心で、「のし梅」いない時もけっこうあり、その上「知らな~い」とお子さんに言われてからの和菓子ワークショップをしたりと、結構傷ついて、気にしてたんです実際(笑)

    昭和10年三越にて「佐藤屋の乃し梅販売風景」(山形)

    こどもの日の佐藤屋の販売風景

    今も昔も変わらずに、皆様のご愛顧をいただける菓子を作っていられる幸せと、これからもまたご愛顧をいただける様な菓子を作ろうの決意を新たに、頑張りますね~!

    【和風総本家 100年てみやげ】の回は、山形ではちょっと遅れて11月19日の放送とのことです。土曜のお昼、お楽しみに(時間的には数分の登場ですが)
    関東方面でお見逃しだった方、再放送があるかもですので、見かけたら宜しくお願いいたします!

    そして何よりこれからも『乃し梅は佐藤屋で、佐藤屋でど~ぞ~』
    ※お取り寄せは佐藤屋のサイト「お問合せフォーム」よりご依頼くださいませ。

     

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  • 今年最後の山形「佐藤屋の乃し梅氷」のご案内です!

    カキ氷に必死の佐藤屋八代目「佐藤慎太郎」一気に涼しくなってまいりました山形ですが、ここにきて季節外れの告知を!
    今年最後となります「乃し梅かき氷」のご案内でございます~!

    10/10(土) 街中賑わいフェスティバル「佐藤屋本町店前」
    イベントは10時から17時までとなります。氷の販売は11時くらいからの予定。
    その前は、カステラのみみ、エンガのみみ、寿の残り福など、ここの
    ところのイベント時にご高評をいただいておりますお得な菓子を
    限定販売にてお出しいたします!

    詳しくはこちらのページから!

    昨年は、秋晴れの中、少し涼しいながらも、東京からのお客様も
    おいでになったりと、一年の氷の締めくくりとして、大変にご高評を
    いただきました。

    通年、氷を召し上がっていただけるスペースの無い佐藤屋につき、
    お見逃しの無きようお願いいたします~!

    来年は、まだお約束はできない状態ですが、テイクアウトのみの
    時間限定の店舗をご用意したいと思っています。
    夏場、連日お問合せをいただきまして、相当に残念がられる
    皆様がいらっしゃるのを見るにつけ、お応えしたいな、と。

    まずは10日にお召し上がりをいただき、そしてまた、
    来年に向けての期待の言葉なぞをおかけいただけましたら
    喜び勇んで準備に入れるかと。

    お待ちいたしております!

     

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  • 「のし梅」発祥の地「山形」より、誇りをかけた戦いは続きます。

    乃し梅本舗 佐藤屋(山形)の元祖のし梅


    さて、乃し梅です。

    佐藤屋が創業した文政年間には、まだ菓子ではなく、山形が
    最も栄えた時代の城主最上家の医師を先祖に持つ薬屋さんが
    伝えていた気付け薬でございました。

    その薬屋の息子が嫁をもらって始めた菓子屋が佐藤屋。
    後の世に、幾多の失敗にめげることなく、全国に流通するように
    なった寒天との出会いの末に、今の「のし梅」の形に完成させ、
    今にまで伝わっているとされております。

    最上家が治めていた頃の山形では、紅花の生産が
    盛んであり、後に山形を訪れる芭蕉も紅花に関する句を
    山形で詠むなど、山形=紅花と言っても過言ではなかったようです。

    その紅花から色素を採るのに必要だったのが、梅の実の酸。
    これを使って、色素を採る訳ですので、当時の記録では現在の山形市、と
    される部分のかなり街に近いところまで梅の畑があった様です。
    まあそれくらいに梅も生産が盛んであった、と言う訳です。

    同時期には、先に書きました最上家伝来の薬も、民間薬として
    なじみ深いものだった様ですが、これも梅が豊富にあってこその
    ものですから、生産量がいかにあったかをもの語ります。

    一説には、出羽三山詣での流行した江戸後期には、「乃し梅」の
    記述が山形についての文献でも見られることもあったりする
    様なのですが、寒天の全国流通までに間があるので、
    今の形ではなかったのではないか、と思われます。未だ手切りの包丁仕事「山形佐藤屋の乃し梅」

    佐藤屋に残るレシピを記した文献には、陶板に塗りつけた、と言うような

    記述もありますから、やはりこの形に完全に落ち着くのは、
    明治になって、と考えてよさそうだと思っています。
    とは言えそれでも1800年代後半なんですが(笑)

    今日はとんでもなく真面目に書いてます、本気ですw

     

    で、何が言いたいか?と言うと。。。

    「乃し梅は、山形発祥の元祖山形銘菓です。水戸に非ず」

    まあ何をいまさらなのですが、私八代目の関東での
    催事の歴史は、まずはこの認識との戦いから始まって
    いるものですから。

    何せ水戸、梅の名所「偕楽園」をお持ちで
    首都圏からの観光客の方々を集客して
    おられますものですから、その情報発信力は
    もう素晴らしいものがあります。

    水戸銘菓と言えば「水戸の梅」「吉原殿中」などが
    ございますが、そこに並び「のし梅」もたくさんに~(泣)

    前の二つの銘菓については置いておきまして、
    「のし梅」に関してはこれだけは言わせてください!今までは現実世界でお会いした人だけに地道にお伝えを
    して参りましたが、ここでも言ってまいります。

    「乃し梅は、山形発祥の元祖山形銘菓です。水戸に非ず!」

    おそらくしっかり調べていただけばわかるのですが、
    水戸の「のし梅」が歴史に登場するのは明治の
    中期以降を待たねば無理かと思います。何故?と聞かれればそれは「山形」にて完成された
    「乃し梅」の製法が、伝わっていくまでの時間が必要、
    だからです。修業に来た方、教えにいった山形人。

    当時は、おそらく将来的に商圏がかぶるなんて思いも
    しなかったのではないかと思います。
    まあそれはもう、しょうがないですね。

    大正期「のし梅」皇室お買い上げの際の佐藤屋三代目ら

     

    その後山形においては、紅花の生産が減少し、
    サクランボが新たな名物になり、実の収穫の
    時期も近い梅も、家庭用以外の需要が減少して
    少しずつ減っていきます。

    佐藤屋では今も梅を山形産にこだわって使っていますが、
    それも契約栽培や、これまでもお世話になっている農家の
    皆様の助けがあってのことでございます。

    さて水戸はと申しますと、首都圏に近い?地理的な
    利点などを活かし「偕楽園」が観光地として素晴らしい
    形に完成し、そこにあるお菓子屋さん達の素晴らしい努力に
    よって、数々の銘菓をつくりあげ、今や関東において
    梅の菓子と言えば「水戸」、「のし梅」は「水戸の銘菓」と
    認識されるまでになっております。

    事実私の周りでも、関東出身の方の多くは、
    佐藤屋にのし梅のあるのを見て「水戸にもあるよ~」と
    おっしゃいますし、関東の百貨店さんでの催事などで
    お持ちしても「水戸の銘菓よね?」と・・・

    恐るべし水戸、素晴らしい、いわば「のし梅」の発展と
    隆盛を支える存在です。
    でも、これだけはもう一回!

    「乃し梅は、山形発祥の元祖山形銘菓です。水戸に非ず」

    もうこれで最後にします。申し訳ないです。
    こう言った形の文章に嫌悪感を示される方、必ず
    いらっしゃいますので、先に謝らせていただきますが、
    そんな方はここまで長いと読んでおられませんでしょう。

    そんな「元祖」の「のし梅」が「山形」、「発展」させたのが「水戸」。
    特段これまでも元祖争いをしたことはございません(笑)
    これからもドロドロやるつもりはございません(笑)

    ついに両雄相並ぶ水戸と山形の「のし梅」
    仲良く並んだ水戸と山形の「のし梅」@M山形vs水戸にて

    ただ、きっと佐藤屋の八代目として私は、ご先祖の名にかけて
    「乃し梅の発祥は山形」と語り続けるでしょうし、それを
    止める時は自分の店をたたむときでしかありえないと思います。

    そしてきっと、まだ先まで「水戸の銘菓よね」と言われる覚悟は
    しております?!でも、でもですよ。小さいかもしれないけど、
    それ目標?と思われるかもしれないけども。

    いつか「のし梅世論の支持の多数」をもう一度山形に取り返したいんです。
    水戸に行った人たちが「あ、これ山形の?!」と言ってくれる様な感じで。

    人口も、生産力も、色んな意味で不利ではあります。
    それでも、山形の歴史に誇りを持ち、山形の梅にこだわり、
    職人仲間の頑張りを信じて、常に語り続けていく、その先に。
    きっと元祖山形銘菓である「乃し梅」が「元祖」として
    認識してもらえる時が来ると思って頑張っているのです。
    変わらぬ皆様の応援とご指導をお願いいたします~

     

    いやはや長文でした。
    読まれた方もお疲れでしょうね?
    自分も疲れました。
    もしもこれを読んで不快な思いをされる水戸の
    お菓子の関係者さんなどいらっしゃいましたら、すぐに
    ご連絡くださいませ。訂正か削除をいたします。争いは望みませんし、今時点では勝ち目もありませんので。

     

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  • 元気の素の甘味そろえて。佐藤屋夏の菓子祭~

    佐藤屋夏の菓子祭のご案内

    今年もやってきました「佐藤屋夏の菓子祭」~。

    毎度皆様よりたくさんのお越しをいただき、佐藤屋の
    いつもの菓子から新作までを広くお楽しみいただいて
    おります人気の企画でございます。

    以前は、いつものお客様がおいでいただく事がほとんど
    だったのですが、最近ではこのイベントの時だと人が
    おりますのでお入りになりやすいのか、新しくおいでを
    いただく方や、インターネットで見て、とおいでをいただく
    方が本当に増えてきていただいておりますのは、IT担当の
    私としては嬉しい限りでございます。 (さらに…)